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第2回

10番札所〜17番・20番札所

十番札所 蔵春院(伊豆の国市田京)

分け登る道もはるばるはせ山の鐘の
ひびきにはるるむら雲
山号 長谷山
曹洞宗 
草創 1439(永享十一年)

杉木立の中、参道を登って行くと両側に西国三十三観音が出迎える。山門を通り抜けると、正面に仁王像を両側にした鐘楼山門があり、その先に本堂が見える。本堂の右には長谷観音堂。建物は全て、昭和52年(1977)以後に建築された。

寺の由緒は、永享11(1439)年の乱で心ならずも主君の足利持氏を死に追いやった、関東管領上杉憲実は、出家して高岩長棟となる。韮山の国清寺で白山堂の郷土である、宮内五左衛門の力を借りて、蔵春院を持氏追悼の寺とした。後に持氏の子、成氏は、持氏の霊牌・護身仏、将軍地蔵を奉納。最高、曹洞宗常恒会の寺格を持ち、末山700を数えた。修善寺・最勝院と並び伊豆三名刹。

竜神伝説
1439年今から550年余り前のお話です。山田の奥には竜がすんでいるというので、 山仕事人々や動物がたびたび襲われると噂され村人達から大変恐れられていました。春屋宗能禅師は、この山田の地を寺の建立の場所として大変気に入られ寺建立が始まった時の事です。俄かに空が掻き曇り稲光と共に激しい雷雨が起こりました。そしてギラギラと目を光らせて竜が突然現れたのです。「この地はわれわれの棲家だ、人間が立ち入る事は許さない!」と天から大声が聞こえて来たのです。禅師は それから三日三晩祈祷を行い悪竜の説得に勤められ、その竜は禅師の弟子となり佛法に帰依し寺の護持に尽くす事を誓ったのです。その竜の棲んでいた池を竜王池といい水の涸れることのない池として本堂裏に大切に守られています。また、禅師の説法により仏法に帰依した竜は、竜王池に身を投じた後天高く上り三個の巨石(頭岩、胴岩、尾岩)に姿を変えて竜神岩として寺の護持に務めているといわれております。

参考:蔵春院HPより http://www.zosyunin.jp/mukasi/index.html

十一番札所 長源寺(伊豆の国市中)

尊きや天の与えし法の山めぐみたえせぬ長きみなもと
山号 湯谷山
曹洞宗(修禅寺・末)
草創 1562(永禄五年)

田方平野を見渡す高台にあり、ここからの富士山の眺めは絶景のシャッターポイント。
ご不浄、平たく言えばトイレの神、本尊・烏蒭沙摩(うずさま)明王を祀っている。山門をくぐると、境内は塵一つ無く、美しい。

十ニ番札所 長温寺(伊豆の国市古奈)

だんだんと 登りて拝む 長温寺 湯谷にひびく 法の玉の湯
山号 湯谷山
曹洞宗(真珠院・末)
草創 1562(永禄五年)

長岡の古奈温泉街の裏手高台にあり、本堂には薬師如来が祭られている。薬師如来とは名の通り病気を治すと言われている。

本堂前には仏足石が有る。これはお釈迦さまの足跡を石に刻み信仰の対象としたもの。境内には福禄寿も祀られていて、伊豆長岡・源氏山七福神めぐりのひとつにもなっている。
長温寺の階段を下ると、湯谷神社が見える。石の階段を上った湯谷神社の境内には恵比寿神が
祭られ、古奈温泉の氏神様として古くから親しまれている。湯谷の名は神社奥の岩より温泉が湧き出ており、古奈温泉発祥の地となったという言い伝えによる。

十三番札所 北條寺(伊豆の国市南江間)

ひとり来て帰るたよりも有明の
月とも見えし観音の慈悲
山号 巨徳山
臨済宗(建長寺・末)
草創 1177-83(治承年間)

正治、建仁年間(1200)北條義時が仏殿の 本尊・阿弥陀如来を運慶に作らせて北條寺を創建。明応九年(1499)鎌倉・建長寺により開山。以来、臨済宗の寺となる。

その後、幾多の災害を受け再建を繰り返し、現在の本堂は 昭和53年(1978)建築。草創当時は観音堂があったが満徳山北條寺と改め寺領を下付された。観世音菩薩像は県重要文化財。
伊豆の遍路が江戸時代から行われていた事を現す、額が収蔵されている。開基である北條義時夫妻(源頼朝の妻、政子の弟)の墓が境内の高台にある。北條政子が奉納をした “牡丹鳥獣文繍帳”(文化財)は寺宝。

十四番札所 慈光院(伊豆の国市多田)

ただたのめ 慈悲の光の弥陀如来 こころの雲の 晴れてゆくらむ
山号 龍泉山
曹洞宗
草創 1510(永正七年)

開山以前は光明遍照金剛梅林寺、梅香院と称し真言宗に属していた。その後、弘法大師の作といわれる、延命地蔵菩薩を本尊とする。地元に伝わる伝説の龍の戒名から、龍泉院慈光院、と称し曹洞宗の寺として開山する。寺宝(龍の爪と18枚の鱗)は5年ごとの命日に当たる五月五日に開帳され供養祭が行われる。

龍伝説
昔、多田の畔に龍が住んでおり、村人から恐れられていた。これを多田入道実正が退治したが、それ以来悪疫が続き、龍の祟りであろうと龍の霊を祭り供養した。

十五番札所 高岩院(伊豆の国市奈古谷)

薬師尊 峯の花風 法の音 瑠璃の光も いつも絶えせぬ
山号 華頂峰
臨済宗(円覚寺・末)
草創 1368(応安元年)

国清寺の奉行寺として誕生。
広い境内の杉木立の中の仏殿が往時を偲ばれる。源頼朝の旗揚げに関係のあった、文覚上人が流罪になり住んでいた、毘沙門堂が高岩院の山奥二㌔ほどの所にあり、本尊の毘沙門天金剛力士像は、運慶作といわれ、静岡県の重要文化財に指定されている。
裏手山奥1.5㌔ほどの所に高岩院の別院「菩薩林」があり、座禅の体験が出来る。

国清汁発祥の寺、国清寺 伊豆の国市奈古谷
1362(貞治元)年、室町幕府の有力者・畠山国清が創建したとされる。1368(応安元)年関東管領の上杉憲顕が本格的な寺として修築した寺で、
最盛期には子院78、末寺300を擁する壮大な伽藍となる。室町幕府3代将軍足利義満の時代には関東十刹(じっさつ/関東の十の大きなお寺の六番目)となる。仏殿には、鎌倉時代慶派の作による釈迦如来像が安置され、境内には、開基・開山の墓や、旧楓林庵の子育て地蔵などが残されている。建長汁と共に、修行僧が食べている国清汁発祥の寺。
■国清汁
韮山の郷土料理。精進料理。肉、魚は一切使われず、野菜のみで作る。けんちん汁に似ている。

十六番札所 興聖寺(函南町塚本)

たのめたゞ 二世安楽は もり山の 麓の里の み仏の寺
山号 金宝山
臨済宗(円覚寺・末)
草創 1489(延徳元年)

町の有形文化財、マリア観音像と鹿の襖絵がある。
子供を抱いた観世音菩薩、徳川幕府の目から逃れる為の隠れキリシタンのマリア像と云われる。鹿の襖絵は、鎌倉時代に描かれたと推定され、猟師が本物の鹿と間違えて撃った4つの火縄銃弾の跡が残る。
この鹿の襖絵の銃弾跡には言われがあり、日本昔ばなしで放送された。
鹿が畑を荒らし、農家を困らせていたところ、火縄銃を持った猟師が鹿退治に駆りだされた。鹿はこの寺に逃げ込んだ。猟師は鹿を追い、寺に上がる。鹿だと思い猟師が引き金を引くとそれは襖絵だった。

十七番札所 泉福寺(三島市長伏)

はるばると 尋ねくる身は 泉福寺 現当二世を 救う御佛
山号 明王山
真言宗(高野山派)
草創 不明

草創年代は不明。1204~1206(元久年間)と1742(寛保二年)2回の移転を経て現在の場所に落ちつく。境内に入るとすぐ左側に観音堂があり、千手観音を安置。これは、三島市の旧法覚寺にあったものを移した。

宝筺印塔とは、梵文を翻訳しないで読み上げたものを納めた塔で仏の供養を目的に建てられたもの。

二十番札所 養徳寺(函南町平井)

身の徳を 養う寺に 入りぬれば 真如の空の 月を見るかな
山号 福翁山
臨済宗・(円覚寺・末)
草創 1387(嘉慶元年)

余計な飾り物のない本堂、清楚の中に力強さを感じる、いかにも禅宗らしい寺。開創は足利時代。境内には縄文後期の石柱があるほか、母子観音、育児観音がある。